久しぶりに映画『青い春』を観た

京都駅前の大垣書店に行って、ドゥルーズの本を3冊買った。今年は、千葉雅也の『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』に励ましてもらった1年だった。まるネコ堂のゼミでじっくり読んでいる。毎回、何度も読み返してレジュメを作って、やっと頭と体に入ってくるかんじで、難しくて、精一杯だ。でも、その作業がめちゃくちゃ楽しい。読み切るまでにはまだまだ時間がかかりそうだが、少しずつ読めるようになってきている実感があるので、『千のプラトー』や『差異と反復』など、ドゥルーズ自身の本も読みたくなってきた。もちろん簡単に読める本ではないし、今の自分では歯がたたないだろうけれど、欲しくなった。たぶん、一生手元に置いておく本だろう。これからのことはわからないけれど、今はそういう気持ちでいる。自分にとってそれくらいの強度があると思う。少しずつ集める。

ドゥルーズの著書の翻訳本は、河出文庫から出版されている。大垣書店で何冊か手に乗って、『千のプラトー 上』『アンチ・オイディプス 上』『ドゥルーズ・コレクションⅡ 権力/芸術』を買うことにした。『差異と反復』は売り切れていた。ドゥルーズの本が置いてある棚の並びに、ごっそり空いている箇所があった。『差異と反復』は誰かが買っていったのかもしれない。わたしの今の心境と同様に、千葉雅也の著書を読んで、ドゥルーズの本も合わせて読みたくなる人がたくさんいそうだなと思った。千葉雅也の著書は、ドゥルーズをはじめとする現代思想の哲学者たちとの橋渡しをしてくれる。読むと、現代思想に触れたくなる。

ついでに山本直樹の『定本レッド1969-1972』があるかどうかも確認した。まるネコ堂で『レッド』を見せてもらって、わたしも買おうと思った。数年前に発売した定本バージョンか、もともとの単行本、どちらを買うか迷っていた。まるネコ堂にはもともとの単行本が置いてあった。定本バージョンの質感を確かめたくて、この数週間、本屋に行くたびに漫画の棚を確認していたのだが、とにかくどの本屋にも山本直樹の漫画が売っていない。大阪駅前の蔦屋書店にも置いていなかった。でも、ここには置いていた。定本バージョンは装丁がとてもかっこよく、質感もよかったが、すごく重かった。これだと、ごろごろしながら読めない気がする(ごろごろしながら読むような内容の漫画ではないけれども)。もともとの単行本を買おうかなと思った。

なお、『定本レッド1969-1972』のほか、『田舎』、『明日また電話するよ』、『夕方のおともだち』、『世界最後の日々』が置いてあった。こんなに置いてあるのはめずらしいなと思った。『田舎』はレッドの連載終了後に書かれた作品で、すごく評判がいいが、東京都で有害図書指定された作品だ。ちゃんと同じ棚の並びに置いてあった。調べたところ、どうやら、指定されても、回収も発禁もされないらしいし、『田舎』については重版がかかったようだ(ただし、アマゾンでは販売規制されている)。指定理由が書かれた報告書を読んでみたいのだけれど、検索しても見つからない。もう少し探してみる。

まるネコ堂では、『レッド』のほか、松本大洋の『青い春』を少しだけ読んだ。実は、大学生時代、映画館でもDVDでも繰り返し観ていたのが『青い春』(監督:豊田利晃)という映画で、この松本大洋の漫画を原作にしている。あれだけ繰り返し観ていたのに、好きだったことをすっかり忘れてしまっていた。久しぶりに観たくなった。DVDは売ってしまったので、手元にない。配信サービスで観ることにした。登場人物の名前はほとんど忘れてしまっていたが、繰り返し観ていたので、シーンはよく覚えていた。正直、終始鬱屈した雰囲気が漂うこの映画を繰り返しみていた大学生のわたし、どうかしていたなと思った。信じられん。でも、当時とても好きだったエンディングは、今みても好きだと思った。屋上で散髪するシーンも好きだった。

映画『青い春』は、今は閉館してしまった京都みなみ会館で何度も上映されていたので、いつもそこで観ていた。可能な限り、映画館でみたい作品だった。オールナイト企画でも何度も上映されており、こちらも何回か観にいったと思う。監督が来場している回もあった。上映がすべて終わったら朝で、明るくなったロビーの階段近くに監督が座っていた。『青い春』の映画にでてきそうな雰囲気の人だった。こんな機会なかなかない、と思って、勇気をだして感想を伝えたような気がする。とても緊張していて、何を話したかあまり覚えていないけれど。







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