【2025年3月3日の雑記】チェルフィッチュ× 藤倉大 with アンサンブル・ノマド『リビングルームのメタモルフォーシス』観た

    

7年ぶりにチェルフィッチュの公演をみた。『リビングルームのメタモルフォーシス』。場所はアマノ芸術創造センター名古屋。ウィーン芸術週間の企画ではじまり、新しい音楽劇をめざして制作されたもの。音楽と演劇がある一方の従属物ではない、新しい音楽と演劇のあり方をつくりだすことをめざした作品とのことだった。この公演は、2023年5月のウィーン芸術週間で初演を迎え、アムルテルダム、東京、神戸にて公演を行い、今回の名古屋で一旦一区切りとのこと。

神戸公演の記事:ステージナタリー「チェルフィッチュ×藤倉大「リビングルームのメタモルフォーシス」神戸で開幕」

正直、難しい公演だった、というか、そうだろうと思って観に行った。あらすじは、『賃貸契約の一方的な破棄により、住む家をいきなり追い出されそうになる家族の物語。しかし人智の及ばない強大な力が見え隠れし始め、その問題自体が舞台上から消え去り———人間の世界を圧倒する存在が上演を支配し、まったく新しい世界が舞台上に立ち現れる。』というもの(HP掲載内容転載)。舞台の前方に演奏者であるアンサンブル・ノマド、舞台奥の下手側が演者とリビングルーム、舞台奥の上手側になぞの黒いかたまりがある。舞台が進行するにつれ、空間も、演者も、解体され、演劇と音楽と混ざり合っていくようすを観る作品。設定も構造も流れもかなり整理されてわかりやすくなっているのだけれど、「いまなにがおこっているだろう・・・」と呆然としてしまった、難しい。わからなさが残ったが、それをもらいに観に行っているところがある。

変化はシームレスに起こる。気がついた頃には変化してしまっている、変化してはじめて気づく。はじめは舞台奥の下手側にあるリビングルームの存在が大きいのだが、それが徐々に変化していく。気がついたらはじめは気にならなかった上手側の黒いかたまりの存在が気になるようになり、気がついたらリビングルームが解体されはじめていて、気がついたら音楽の存在が強くなっていて、気がついたら演者がダンサーのようにみえていて、気がついたら演者が空間にとけており、最後にはリビングルームは完全に解体されていて、舞台装置はインテリアに見えなくなっていた。その変化の境目をもう少し注意深くみることができればよかったけれど、わたしにはそれはできなかった。

たしかに、この舞台上では、音楽は演劇の従属物ではなかったし、その逆でもなかった。主従がなくなって、ただ並び合うようになった時、いまそういう状態なんだな、ということはわかるけれど、これは一体何なのだろう、わたしが観ているものは何なのだろう、と思って、でもそれは今も考えているけれど、いまも結局よくわからない・・・。もう一回観たいなあ。なお、来年、ロームシアター京都にて、岡田さんの新作音楽劇(!)を上演するらしい。この作品を経ての新作音楽劇、とても気になる。

観劇後、2021年に行われたワークインプログレス公演の動画も観た。テキストは本番のものと少し違うけれど、内容は大体同じだった。設定が絶対ではないこと、空間の境界、身体の境界(内と外)への意識の向け方を気をつけること、テキストから想像されるものを大切にすること、俳優の想像力の広げかたの方向性が重要であることなど、言語と身体と空間の関係性についての感度が高度すぎて、わけがわからないけれど、めっちゃ面白かった。(これをみても、今回の作品の全体像は全く捉えられない、むずかしい。)





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