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250410 映画『FEMME フェム』の感想文

先日観た映画『FEMME フェム』が凄く良かった。感想を残しておきたかった。パンフレットを見ながら、何度も振り返っている。映画にふれて気づいたことがある。クィアについて、あまりにも自分が無知であり、見えていないことがたくさんあること。なぜかわからないけれど、ゲイカルチャーについてもっと知りたいという気持ちがあること。昨年末、日帰りで東京に行ったとき、東中野にある本屋platform3に立ち寄ったときのことを思い出す(ちなみに『FEMME フェム』のパンフレットは、platform3のオーナーのひとりである潟見さんがデザインしている)。台湾の写真家、林家夯さんの写真展が行われていた。部屋を舞台にした、男性たちの親密な関係が写し出された写真。写真家の林さんは、インターネットでつのった見知らぬ協力者の部屋を訪れ、個人情報を明かさず、自由にセッションし、それを撮影したとのこと。プライベートな空間(密室)で交わされる束の間の感情の交流、欲望の暴き合い。見ていて、緊張する写真。寂しかったり息苦しい気持ちにもなる。いくつか、センシティブな写真もあり、何となく、どう受け止めていいかわからなくなったり、直視するのが難しいものもあった。でも、展示風景を、写真を、忘れられない。写真集も売っていた。タイトルは、『behind_the_door』。とてもいいなと思いながらサンプルを見ていた。でも、手元に置いておくには、自分にとってはなんとなく重い。なんでこんなに重いのかわからない。怖いのだと思う。わたしは何に怖がっているのか、わからない、といいながら、少し心当たりもある。過去の恋人との関係の中で、傷ついたことを思い出してしまうからだ。男性性が暴力と結びついてしまう。もう終わったことだし、時間が解決するのを待っている、なにもなかったかのように。でも、それだけでは、何かを赦せない。この気持ちにどう向き合っていけばいいのだろう。『FEMME フェム』の劇中、登場人物がストリートファイターをプレイするシーンが何度かでてくる。主人公はいつも春麗(チュン・リー)を使ってプレイしている。パンフレットを読んで初めて知ったのだが、春麗は父親の仇を討つのために戦っているキャラクターらしい。復讐でつながる、主人公と春麗。主人公は、ドラァグクイーン姿の自分に暴力をふるった男性に近づき、復讐のために親密な関係を築いていく。次第に主人公は、復讐の相手に対して、支配的・暴力的な姿をあらわすようになる。それは、かつてドラァグクイーンとしての「仮面」を身につけ自分らしく生きていた主人公が、復讐するために新しく手に入れた、強くなるための「仮面」なのかもしれない。復讐しなければ取り戻せない自尊心があるのかもしれない。でも復讐で傷を癒すことはできるのだろうか。傷ついた心と向き合うことは難しい。しかもセクシャル・マイノリティの人々にとっては、社会の差別や抑圧がベースにある。社会が生み出した復讐劇。ただのフィクションではない。自分にとっても無関係なことではない。







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