まるネコ堂芸術祭が終わった。気が抜けた。最終日の朝、疲労がたまったときに起こる症状、左耳の痛みと胃の違和感があったので、疲れてるんだなと思った。やりきったとか、達成感とか、そういうものとは別のものだった。それについて大谷さんは、表現するときに肝、内臓を使ってるからだよと言っていた。早めに寝ようと思った。寝る前に何か落ち着く文章に触れたくなった。頭に浮かんだのが色川武大の『私の旧約聖書』だった。文庫本を持っているが数年前になぜか電子書籍でも買った。BOOXと一緒に布団に入った。枕元の照明は充電式で、充電が切れかかっていた。20分くらいはもつかな、と思ってまえがきを読みはじめたが、いつの間にか寝てしまっていた、ほとんど読まず、たぶんすぐ寝た。
ほとんど読まなかったから、今日晩御飯を食べたあと、1時間ほどかけて、色川武大の著書をいくつか横断して読んでみた。『私の旧約聖書』『百』『狂人日記』を適当に読む。『百』と『狂人日記』は積読になっていた。正直、どの本も、わたしが昨日勝手にイメージしていた落ち着く文章ではなかった。昔はそう思っていたのだと思う。淡々としているから、表面的にそう捉えていた。ものすごく孤独な文章だ。『狂人日記』は読むのに負荷がかかるけれど、今持っている色川武大の本の中では一番好きな気がした。体調が戻ったら読もうかな。
芸術祭の1日目、アローさんに久々に会えた。アローさんの文章が好きで、日記ブログを読んでいる。理性的で整理整頓され、落ち着いた文章だなと思う。話題にするトピックも面白いしまとめるのがうまい。慎重にことばを選んでいる気がして、真面目で誠実な向き合い方がいつも良いなと思う(レジュメやブログの文章しか知らないけど)。でも、特に好きなところは、これはたまに見えることで、わたしが勝手にそう読んでいるだけかもしれないけれど、ゆるんだとぼけたかんじとか、逆に憂いや翳りとか、そういう雰囲気が漂う時がある。丁寧に整理整頓されたところから突然起こるズレや隙みたいなものが、なんか魅力的でいいなあと思う。久々に直接会えたので、本人に伝えようとしたけれどうまく言葉にならなくて、家に帰って考え直した。そういえば、前に会った時もうまく表現できなかった。というか、うまく言えないなんて当たり前のことで、うまくことばに出来ないなかで、出来る限りことばにするしかないのだろうな。それでも、わかっていても、うまく言いたいものでもある。
まるネコ堂の庭には小さな畑があって、傍の軒下に、椅子が二脚置いてある。アローさんはそこに座ってくつろいでいた。その姿には、わたしが彼の文章を読んだ時に感じる、いいなと思う部分に似た雰囲気があった。わたしはすぐ横の掃き出し窓あたりに座ってお話ししながらその風景を眺めていて、写真を撮りたくなったけれど、カメラをかまえるとその良いかんじが消えてしまいそうな気がしたのでやめておいた。
アローさんとお喋りするのが楽しいから、この日はずっと捕まえて話しかけてしまって小旅行中の貴重なあなたの時間を独占してしまってすまないと、家に帰る途中、駅に向かって坂を下りながらちょっと反省した。でも、たぶんまた同じことをやってしまうと思うけど!
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