250531
29日の投稿は残すことにした。
自分が書いたことに対し、読んだ人がどう思うのか気にしすぎている、と思った。これを読んで嫌な気持ちになるひとがいたらどうしようと考えすぎる。つまり、人に嫌われたくない。でも、人は好きなように読む。自分も文章を好きなように読み、好きなように解釈し、ときには誤読している。希望通り読まれたいというのは、わがままだと思った。自分自身を含めた、人の視線を気にせずに、素直に文章を書けるようになりたいけど、難しい。むしろ、その中で、どうやって自由に書くか、ということなのかもしれないし。
30日の朝。ご実家に面会しに行った友人たちから報告をきき、彼女たちが現実を受け入れ、前々日や前日より落ち着きを取り戻していたので、ああ、ぐっさんは本当にいなくなったんだと、思い出シェルターにはいられない状況になった。
やっぱり思い出は重い。思い出に浸るのが居心地いいと感じていた時間は一瞬で過ぎ去った。でも思い出は必要だ。共有した時間を忘れたくない。あれ以来、忘れていた記憶がどんどん蘇ってくるようになった。冷蔵庫に貼ってあるクリムトの接吻のマグネットも、バスや私鉄に乗る時用の小銭をいれているポーチも、ぐっさんがお土産にくれたものだった。今の部屋への引越しも手伝ってくれた。荷造りが苦手なわたしをみて、しょうがないなーといって、手伝ってくれた。あらゆる記憶を忘れがちなわたしの記憶が戻ってきているのは、思い出す必要があるからかもしれない。もう今後は共有できる時間を生み出せないから、思い出すしかない。みんなどうやって思い出に耐えて生きているのだろう。こんなに重いのに。時間が経てば、感じ方が変わってくるのだろうか。
仕事をしていると気がまぎれるが、休日はそうはいかない。胃のあたりが重く、家にいるとだめだなと思ったので、どうにかして出かけようと思った。電車に乗ろう。でも、体が動かない。約束をつくらないと出かけることができない気がしたが、こんなときに気軽に誘えるひとがいない。というか、誘ったらいいのだけど、気軽に誘うのが苦手で連絡できない。美術部だった子達は家庭があったり仕事があったり遠方に住んでいたりする。しおりちゃんもいまは遠方にいる。よって、母に連絡した。母に「お茶しに行こう」なんて連絡したことがない。都合のいい娘だなと思ったけれど、甘えさせてもらおうと思った。野洲駅前で集合。
カフェにはいり、ケーキを食べた。その店は、ナチュラルワインを飲むことができる。しかも安い。ワインを飲みたい。飲もうかなと思ったらカフェメニューにはワインが載っていない。ワインありますか?ケーキとセットにできませんか?と店員に聞こうかすごく迷って、でも聞けず、カフェオレを頼んだ。昼間からカフェでアルコールを摂取するひとは、このあたりじゃほとんど見かけないイメージ。日和った。
万博の話をする。もうすぐ両親は万博に行く。特に父が楽しみにしている。母はあまり興味がないが付き合ってあげるようだった。母に、70年の大阪万博には行ったの?ときいた。高校生のいとことその妹と一緒に3人で行ったらしい。でもどんなパビリオンに行ったとか、何を食べたとか、全く覚えておらず、唯一の記憶が、いとことその妹が現地で喧嘩を始めて大変だったことだけらしい。記憶にはないが、どうやらソ連館は行ったっぽいと言っていた。ソ連館について、ネットで検索したら、すごいスケールの建物だった。ソ連時代の建築はめっちゃSFらしいので最近ちょっと気になっている。
母と話せて気分が変わってありがたかった。でも、駅で別れた後、またあの胃の重さが戻ってきた。重いのが消えない。この重さはしばらく消えなさそうだなと思った。それがわかったから、諦めたというか、どうにかしたい気持ちはなくなった。もしかしたら、明日も、朝起きたら、重くて気力を失っているかもしれないけれど、そのときは諦めようと思う。受け入れる。家に帰って晩酌した。カフェでワインを飲まなかったので、なにかお酒を飲みたかった。常備してあるジンを水割りで飲んだ。いつもより少しだけ濃いめにした。ほんの少し。
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