250713

ゆっくりしている、きょうも、今も。体力的にリカバリーが必要なので、スーパーには行ったが、ほぼ引きこもり、 計画をたてず、家事をしたり、だらだらしたり、本を読んだりしている。マンガ教室の授業をオンラインで見た。

最近、ゲンロンのシラスの配信番組をみるときは、無印良品のB5ノートを使ってメモしながら見ている。昔から売っている、ベーシックなノート。配信は、ラジオのように流して視聴しているときもあるけれど、パソコンで見る時はこのノートを開いていることが多い。乱雑にメモして、頭の整理をするために使っているので、なにか文章にしたり、別のメモとしてまとめるときに読み返すことはあるけれど、ほぼ読み返さない。読み返すにしても、そのときの記憶が薄れると、全く使えないメモになる。乱雑なので、ちょっと日が経つと、その時何を書きたかったか思い出せないのだ。使えないメモになっても、自分にはいいかんじに作用していると思う、たぶん。


先週、ゲンロンカフェで、アーティストの八谷和彦さんと弓指寛治さんの対談イベントがあった。わたしは配信で視聴。リアタイした。その時のまとめと感想を今からだらだら書く(長いよ)。

八谷和彦×弓指寛治 ヒコーキと青空──小学生に戦争の記憶を伝える

※無料放送パート(youtube)

リアタイしたが、この休日中にもう一度アーカイブ動画を見返していた。ゲンロンカフェのイベントということで、約5時間におよぶ長尺イベント。リアタイ時は眠気でどうしても最後の1時間を見ることができなかったこともあり、見ることが出来なかった部分を見た後、改めて最初から見返した。

弓指さんは、ゲンロンに馴染みの深いアーティストのようで、このイベントではじめて知ったので色々調べた。今、銀座の蔦屋書店で「4年2組」展をされている。昭島市立光華小学校4年2組のクラスメイトとして通学しつつ、”2回目の小学生”として生きる日々や、クラスメイトたちと戦争について考える中で生まれた作品が展示されているとのこと。

タイミングがあわず、展示を見ることができないけれど、アローさんからたくさん写真を共有してもらえたので、雰囲気がわかってとてもありがたかった、すごく良さそうな展示だった。現地で見たかったなあ。弓指さんは作品それぞれもいいし、展示空間の作り方も凄く良さそう。

トークイベントは長尺なので話題は多岐にわたる。弓指さんの話を中心に据えつつ、八谷さんが弓指さんの作品と繋がりがありそうなエピソードをスライドで紹介していきながら進んで行った。弓指さんは、今回の「4年2組」展の話だけでなく、過去の作品や展覧会と、それらがその後どうなったか、ということもあわせてお話された。というのも、作品作りで関わった人たちとの関係はずっと続いているようで、それは、人の人生に関わり、受け取ったものを表現し、引き継いでいくような作品作りをされているからでもある。関わった責任があり、それを引き受けている。生きることと死ぬこと、ナイーブなテーマであっても、まっすぐ真摯に関わっている。アーティストだからできること、弓指さんだからできる関わり方をし、それが作品としてしっかり昇華されている。わたしには怖くてできないなと思う。とんでもないことをされている。しかも、もともとは別々のプロジェクト・作品だったものが、思わぬところで繋がりをもつことがあるらしい。作品が作家の人生をつくっている。

弓指さんはトーク中、何度も、”1回目の小学生”、”2回目の小学生”という言い方で、実際に小学生だったときのことと、現在通学している状況を表現し分けていて、これがあまりにもナチュラルだから、なんかすごく面白い。ちゃんと小学生になるために、クラスメイトたちと真剣に”おにご”こと、おにごっこをして遊び、授業を受け、テストも受け、給食当番にもなり、掃除もし、歩いて下校する。クラスメイトたちも弓指さんのことを「友達」と認識しているようだった。違う文化のひとたちと仲良くなり、「友達」になるには、そのひとたちが大切にしているものを一緒に大切にする必要があると思うのだけれど、小学4年生の子どもたちにとって、大切なのは、「遊ぶこと」なのかなと思った。特におにごっこは特別に大切にされているようだった。先生はおにごっこしないけれど、弓指さんはおにごっこをする。でも、弓指さんは大人で、”2回目の小学生”だから、実態はかぎりなく小学生に近づいた大人、なのだ。大人が子どもになることはできない。みんな子ども時代を経験しているけれど、子どもの感覚には戻れない。異なる感覚(文化)の人たちを尊重しながら、弓指さん自身が、39歳の今の自分のリアリティを大切にされているのが良かった。「友達」になることはできる。

戦争の記憶をどう伝えるか、という話も、弓指さんが自作の紙芝居を使って行なった昭島のまちあるきのエピソードを踏まえて、終盤の質疑応答の時間で、興味深い話がでてきていた。戦争の話は悲しいから聞きたくない、といっていたクラスメイトがいたとのこと。戦争の記憶を伝えようする時、その悲惨さや怖さにフォーカスされがちだが、これは戦争の抑止にならない。リアリティがなく、人に届かず、却って危険なのではないか、とのこと。記憶を伝えるにしても、自分にリアルなこと、つまり「知っている」ことしか伝えることができない。知らない記憶を伝えないければならないとき、媒介になる人は、ただ伝えるのではなく、その人なりにリアリティを持たないといけない。その作業を弓指さんは時間をかけて行っているように見えるし、受け取り側のリアリティにどう寄り添うかについても、すごく考えて表現されているような気がした。日本人の多くが、第二次世界大戦をはじめとするの戦争の悲惨さのリアルを知らない今、戦争についての表現に幅が必要だろうし、受け取り側のリアリティにどう近づけるか、「伝え方」以上に「伝わり方」についても考える必要がある。

5時間聞くには、時間の確保は必要だけど、面白いので、結構あっという間に時間が経つ。弓指さんと八谷さんのふたりの話がつながったり膨らんだり、聞いていて心地いい楽しいイベントだった。記憶に関わることは、他者の人生に関わることでもある。記憶についてよく考えるので、また定期的にアーカイブを見返しながら、自分なりに整理ができたらいいなと思う。








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