2025年8月 − 03

半年ぶりにしおりちゃんに会って話していると自ずとこの半年のことを振り返る時間になった。わたし自身はこの半年なにも変わっていないと思っていたけれど、そんなことはないなと思い始める。この半年で、わたしは、諦められるようになった。後悔やコンプレックス、叶わないことに対して、それなりに受け入れられるようになった。ポジティブに捉えられるようになったとか、肯定できるようになった、ということではない。嫌な感情を自分の中から無くしてしまおうとか、良い方に捉えようとか、そういうのを全部やめたのだ。諦めた。自分の中にあることを、ただそのまま受け入れ、どうにかしない、そのままにしておくという選択なのだ。年齢のせいかもしれないけれど、なんとなくこれは、先日友達が亡くなったとき、その状況や感情を、ただ受け止めるしかなかったあのかんじを、そのまま転用したようなところもある。どうしようもないことを、どうしようもないまま受け入れる方法を今まで知らなかった。友達が教えてくれた。こんな教わり方はしたくなかったけど。

諦めたり受け入れると、嫌な感情、寂しい気持ちや悲しい気持ちが自分の中にあることを明確に意識せざるを得なくなるけど、除去せずに全部そのまま抱えて生きていってやろうという心持ち。ぐちゃぐちゃでも構わなくて、直視することで別の静寂が訪れる気がする。この方法が良いことなのか、健全なのか、それはよくわからないけれど、わたしには合っている気がする。

朝から大雨だった。頭が働かず、ぼんやりしていて、あっという間に時間が過ぎてしまって、慌てて出かけたら、カメラを家に忘れてしまった。久しぶりのしおりちゃんはいつもどおり全身ホワイトのコーディネートで、そして、なんだかものすごく発光していた。タカラジェンヌやアイドルから感じるあのオーラだ。もっと柔らかいかんじもある。この数年で一番発光していた。思わず、なんか今日めっちゃかわいくない?!と何度も言ってしまった。カメラを忘れたことをものすごく後悔した。わたしには、あの発光した姿をそのまま写真で捉えられる自信はないけれど、試してみたかった。iphoneでも撮ってみたけれど、実物のほうが100倍発光していた。

平日のファミレス、昼過ぎになると満席に近くなった。窓際のソファ席に、おばあちゃんたちの集まりあり。みんな揃って仲良くかき氷を食べている。夏だ。わたしはあんみつを食べた。夏っぽいメニューではあるが、特別なかんじがしなかった。普通のあんみつ。かき氷にしか演出できない夏がある。しおりちゃんからたくさんお土産をもらった。わたしはけけちゃまのステッカーをプレゼントした。サイババのステッカーとけけちゃまのステッカーを並べて撮影した。なんか似ていた。

午後は小雨が降っていて、曇り空だったけれどそれがよかった。やっぱりカメラがあったほうがよかった。しっかり見て、記憶に残そうとした。唐橋の上で、瀬田川、琵琶湖を眺める。湖に向かって雲が抜けていく様子をみるのが好きだ。一生水辺のまちに住みたい。滋賀じゃなくても。川か湖の近く。ひさしぶりに、花火を見たくなった。








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