2025年8月 − 04
わたしは5年ほど西洋占星術の勉強をしているのだが、このブログで触れたことがない。書けない気がする。それ以上に書きたいようで書きたくないことだった。今までは。でも、今日は何か書いてみようかなと思って文章を書き始めてみた。
読んだり書いたりすることの楽しさは、占星術の勉強をし始めて、そこから育ってきたことだし、自分にとって大切なものなのに、なぜ書けない、書きたくないのか。うまく言語化できないし、この大切さについて、ちゃんとことばになっていない状態の曖昧な感覚を安易に人に理解されたくないということなのかもしれない。間違って理解されたくないという意識が強く働いているような気もする。ものすごく神聖化してしまっているのかもしれない。よくわからない。間違って理解されたくないと今わたしは書いたけれど、この占星術の世界の面白さは、ある一定のルールに沿いつつ先人の占術師の読みを参照しながら如何様にも読める楽しさと、時間を行き来しながら人や出来事に出会い直し物語を訂正し続けることのできる自由さ、ある種の如何わしさの上に強く立ち上がるリアリティにあると思っているので、今わたしが書けない、書きたくない理由としてあげたことは、この面白さ故のものでもある。些細なことを気にして留まっているなら躊躇せず書いてしまったほうがいい気がしてくる。今こうやって書きつつも、先ほど言語化した面白さも、うまく言語化できない部分を何とか形にできたかと言われれば、よくわからないし心許ない。まだことばになっていない部分にも、もっと何かあると思うし、何かあると思っているけれど、もしかしたら何もないかもしれない。まだこの気持ちや感覚の輪郭を上手くつかめない。書きながら消した文章もある。
この数ヶ月はライフレビューというものをやっている。過去のトランシット(進行中)とネイタル(出生時)の天体のアスペクト(天体同士の角度の結びつき)(個別のもの、ある年齢期に必ず見られるもの両方)を確認しつつ、自分の今までの人生を照らし合わせて振り返りの作業を行うもの。出来事を振り返るというより、過去の自分に他者として出会い直すような作業なので、けっこうしんどい。今の自分から過去の自分を見たとき、その時代を今の自分がどう捉えているか、確認する作業でもある。今の自分にとっての、過去の自分。楽しい時期、忘れたくない時期、辛い時期、捉え方を訂正したい時期、頑張って受け入れたい時期、できれば二度と見たくない時期、いろいろある。思い出せないこともある。特に、しんどい時期、向き合いたくない時期において、冷静に向き合うために捉え方を変えたい部分はチャートを使いながら訂正しながら過去の自分と和解していく。供養。これは供養だなと思った。特に、今の自分が出来れば見たくないと思っている部分については、自分がその時代をどう見ているのか理解し、丁寧に向き合うようにする。それではじめて供養できるものがある。
供養ということばは、画家の弓指寛治さんのお話や作品を通していつも思い浮かべることばだ。先日もシラスで、昨年の南飛騨 Art Discoveryで展示された《民話,バイザウェイ》の本人解説動画(※)を見ていたのだが、まさに、鑑賞者と一緒に戦争の記憶を供養するような作品だった。あったことを、なかったことにしないこと。あったことを隠して見ないようにしてタブーにしない。自分の記憶でも、他人の記憶でも。歴史の取り扱い方でもある。個人や家族の歴史で、どうやってタブーをつくらないようにできるか、どうやってタブーになったものの封印を解くことができるか、レッスン中に先生の奥田さんといろいろ話した。(供養とかタブーについては、わたし自身、もっと勉強したりよく考える必要があると思っている。向き合えないことについては、向き合えるようになるまでのプロセスも、誰がどのように封印をとくかということも重要だろう。時間がたくさん必要なこともある。その人が生きている間には供養できないこともあるかもしれない。)
※弓指寛治のSur-Vive!:ザ・ツアー・オブ・《民話,バイザウェイ》https://shirasu.io/t/yumisashikanji/c/survive/p/20250113
母の実家の整理が始まっていて、母の過去に触れることが増えている。母の歴史を通して、自分と母との関係、母を含む家族との関係についても考える。わたし自身の中にある、家族に対する拗れた気持ちに向き合うことにもなり、ちょっとしんどいなと思うこともあるが、これも供養みたいなもんかなと思ったりする。お盆だしな。千葉雅也さんの小説にはお盆がよく出てくる、ということを千葉さん自身が話している動画があって、そのことも思い出したりした。千葉さんはお盆が好きだ、と言っていたような気がする。どうだったっけ。
わたしの祖父の兄は戦争で亡くなっている。そのことを誰も語らない。なかったことにしているのか、忘れているのか、わたしのいないところで語られているのか、すでに語り尽くされたのか、関心がないのか、わからない。そんなこともふと思ったりした。今度、親に聞いてみようと思う。
![]() |

コメント