2025年9月 − 01

吉祥寺のブックオブスキュラのワークショップにオンラインで参加してみた。店主が作成したオリジナルの写真家マップとノートを使って、写真史と写真家と写真集について学ぶ全3回の講座。日曜日の夜の講座で、リアタイできるときはリアタイし、出来ない時は、アーカイブを見て受講した。アーカイブは毎週日曜日夜から火曜日まで残るので、昨日もとんでもなく眠かったが頑張って復習していたら終わったあと力尽きて深夜まで床で寝ていた。最近の私の部屋は、床に本のタワーが建っていないので、広々しており、ごろごろし放題だから、横になったらすぐ寝てしまった。体のメンテナンスがうまくいきはじめていたのに、起きたら体ががちがちに凝っており、リセットされてしまった。でも、それでもちゃんと受講してよかった。個人のお店で、しかも都内でも有数の写真集専門書店だろうからすごく忙しいはずで、そんななか、よくこんなワークショップを企画・実行できるな、しかも内容が充実していて(圧巻の知識量だった)、すごかった。また東京に行った時は、お店に行って、展示を見たり本を選びたいなあと思う。

講座には、(名前は聞いたことがある)、(写真はなんとなく知っている)、(全く知らない)、いろんな写真家が登場して、時代、国、つながり、順番に整理できて、かなりクリアになる講座だった。本当は自分で努力して頭のなかでマップ作りをしなきゃいけないのだけど、それをショートカットできるかんじ。何より、各写真家の代表的な写真集を大量に拝めて、それがすごく楽しかった。写真の歴史はまだ浅いこともあり、数をそれなりにみると、この作品、この作家はこの文脈かな?とあたりがつけられるようになる気がした。今このタイミングでもう一度ルイジ・ギッリ展を見てみたいし、去年に戻ってアレック・ソス展も見てみたかった…。

写真を撮る行為は、シャッターを押す瞬間は感覚的かもしれないが、機械を扱うが故に、かなり理性的・作為的な行為でもあるから、純粋に雰囲気を味わいながら写真を見るのも楽しいが、作家が写真を使ってどういう文脈で新しく何をしようとしたか、何が写っているのか、よく見てみて読めるようになったらもっと楽しいことがわかったし、それは写真を使ってなにかつくってみたいと思った時に、意識しなくちゃいけないことでもあるなとも思った。

講座中、エド・ファン・デア・エルスケンの『セーヌ左岸の恋』が紹介される時間があり、それを見て聞いているときに、先月買ったシドニー・スミスさんの『このまちのどこかに』のことを頭の中に思い浮かべた。写真に置き換わりそうな絵が多くて、構成的にも写真集になっていてもおかしくない絵本だなと考えていた(映像的で時間経過が明確な作品だからかもしれない)。『セーヌ左岸の恋』は物語性の強い写真集で、コマ割りっぽい構成になっているページもあるが、この二つは大きな類似点があるわけではない。でも、絵本と写真集の似ている部分について考えていた。にわかの戯言なので、絵本・写真集ファンの皆さんに安直だとしばかれそうだが、写真表現の自由なかんじ、写真集になったときの物的強さは、絵本からかんじるそれと似ているなと思うことがある。原画と絵本、現像写真と写真集の関係についても、ちょっと似ているな、と思う部分がある。絵本のほうがもっと大きくて広い気がするけど。なんか親戚っぽいというか。







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