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2025年11月 − 04

エアコンの調子が悪く、管理会社経由で修理の依頼をかけた。来週業者が来るのでしばらくがまん。夜は冷え込むようになった。iPhoneで外の気温を調べたら8度。家に帰って、別の暖房器具を使っても、部屋はなかなか暖かくならないし作業にも集中できないので早めにお風呂に入った。いつもより多めに湯をためる。かっさを使って頭とか肩とかマッサージしながらゆっくり湯船につかり、のぼせる前にあがる。髪を乾かし、整える。23時だった。1杯だけお酒を飲んだ。ジンをお湯で割った。ジンのボトルは2本あけているものがあり、両方とも、もうすぐなくなりそう。飲むと胃のあたりが温かくなる。寝る前に飲む温かい少量のお酒は、気分がよくなるので良い。たまにはいいでしょ。

そのあと、寝るまでの間、ヨン・フォッセの『だれか、来る』を読んだ。90年代に書かれた戯曲らしい。海の近くの古い家にやってきた、登場人物の彼と彼女。彼らは、何かから逃れて、二人きりになるためにこの家にやってきたようだが、その理由は語られない。彼女は不安を語りだす。二人にきりにはなれない、ここには「だれか 来る」と。男は「だれも 来ない」から大丈夫だという。「だれか 来る」「だれも 来ない」、何度もセリフが反復されながら、話が展開していく。ずっと不安で、良くないことが起きそうで起きない、不条理劇だった。ベケットの『ゴドーを待ちながら』の登場人物たちは「待つ」が、この話のふたりは待っていない、しかも、待っていないのに、「来る」。解説によると、この作品は、『ゴドーを待ちながら』をヒントに書かれたものらしい。

セリフが何度も反復され、不安なムードが醸成されていく。登場人物たちの不安が、そのまま作品のムードを作っていく、多くは語られていないのに。登場人物たちの会話は、どこかちぐはぐで、一見、会話が成り立っていないように思えるが、ちゃんと成り立っている。会話が成り立つギリギリのラインで書かれているのかもしれない。反復は、「間」のようなものでもあるらしい。ノーベル文学賞受賞記念講演でも、沈黙のことばについて語れていた。

〖全文公開〗ヨン・フォッセ ノーベル文学賞受賞記念講演「沈黙の言語」

日頃のコミュニケーションでも、ことばになっていない部分、語られていない部分の語りを聴いているんだなということが、この戯曲を読んでいるとちょっとわかってくる。図書館で借りた本なのだが、巻末に掲載されている解説も面白く、時間を置いて何度か読んでみたいので、どこかのタイミングで買いたいなと思う。

雑談の配信編集(まだ1回しか編集できていないけれど)でも、「間」がもつことばの豊かさを意識できたら、音声でつくられる空間をもっと面白くできるのかも、とも思ったりする。

(わたしはまだいまいち沈黙や間への感覚が鈍い気がする。)














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