2026年1月 − 14

駅のホームで電車を待つ。事故や雪の影響で電車は遅延し、改札前には人溜まりができていた。雪は小粒で、淡々と降っていた。水気の多い雪で、道路や歩道の雪はすでに溶けて汚れた雪になっていた。こうやってスマホに文字を打ち込んでいる間にも、マフラーやアウターに雪が絶えずはりついていて、スマホの画面にも水滴がたくさんついていて、それにわたしは気がついていなくて、後ろに立つ人はカイロを振って手を温めている。女子高生は楽しそうに談笑している。あと2分で電車が来る。

近江八幡までくると、晴れてきて、山のてっぺんがもやもやして霞んでいる。写真をとりたかったけど、電車の中には人がたくさんいたのでやめる。

まっしろな畑に植木鉢が3つ。電車のなかは暖かく、窓の外を見ながら、寒暖差でのぼせそうだった。マフラーを外して、リュックの中にしまった。

   
    
午後から講習があったので電車で南のほうに向かう。午前中は、有給がとれた。早めに出発して、滋賀県立美術館に寄った。電車の影響で、1時間くらいしか居れなくなったけど、寄った。わたしは観るのが遅いので、1時間では絶対足りないな、と思ったけれど、観れるだけ観たらいいか、と思って寄った。

いま滋賀県立美術館では、「ニューSMoAコレクション」と、「笹岡由梨子のパラダイス・ダンジョン」を観ることができる。どちらも観たいけれど、今日は、コレクション展。2月末で終わるので、とりあえず、これだけは観ておこうと思って。

コレクション展の展示室はふたつ。展示室2には、梅津庸一さんの作品が展示されているので、こちらから先に観た。

展示室2は自立壁がなく、ワンフロアで、3方の壁面と床面に作品が展示されていた。とてもシンプルな構成で、作品数も絞られていたけれど、見ているのがずっと楽しくて、充実。日本画も、洋画も、彫刻も、陶芸も、版画も、インスタレーションもあるし、それぞれ美術館側からのコメントも添えられており、3周くらいしたかったが、もちろんそんな時間は全く、全くない。持ち時間の1時間のうち、45分くらいをこの部屋で使った。
陶芸作品はすべて信楽でつくられているものだった。それぞれ全く系統が違う。この部屋の数点だけでも多様さが伺え、全然知らなかった、と思った。こうやって、美術館の展示を通して知れるのは良い。

梅津さんの版画作品は、小さな作品しか見たことがなかったから、今回大きめの作品も展示されているようで、楽しみだった。ワンコーナー独占しており、コレクション展の見どころになっていた。陶芸作品は緑色の台座に展示されていた。版画は、25点くらいあった。語る言葉がなく、もどかしいが、図案も色も展示作品同士の関係も面白くて楽しいから、良い。全然見飽きない。

展示室1は15分くらいしか居れず、焦ってしまって、落ち着いて鑑賞できなかった。会期中にもう一度行けたらいいのだけれど。昔からよく展示されている志村ふくみの作品も、今回の展示作品は新しく収蔵されたものだった。対面には平田猛のスケッチが大量に展示されていた。そのあいだにミヤケマイさんの掛け軸状の作品があるのが良かったが、この良いなと思うかんじは本当はもう一度観に行ってゆっくり過ごして確かめたいけど、行けるかはわからん。

(今回、思ったこととして、わたしは、(日本における)アール・ブリュットの作品をみる際、それだけまとめられた展示をみるのがちょっとしんどいんだな、ということがある。現代美術や工芸や油彩など、さまざまな作品の中に一緒に展示されていると、安心して見ることができる。アール・ブリュットの作品だけまとめられている場合、緊張する。自由に感想をもてなくなってしまう。これは企画側の意図以上に、良くない方向で「配慮」しているのだろう。これはわたしの態度に問題がある。でも、疑問に思うこともある。異彩やいのちのかけがえのなさなど、無敵のキラーワードだろう。もちろん、そうやって社会に働きかければならないほどの状況を背景としていることも、わたしがマジョリティ側に立っていることも重々承知のうえ、ここでわたしが書いているこの内容は、鑑賞に限っての話だが、こうやって書くことも、自分がとても身勝手に思える。さまざまなジャンルの違う作品と一緒にみたいという気持ちのなかには、無心でただ作品と向き合いたいという気持ちも、この身勝手さを打ち消したい気持ちも両方あるような気がする。)

    
時間が来たので諦めて退散。外は、からっと晴れていて、朝、まっしろの沈んだ暗いまちのなかにいたことが信じられなくなった。








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