2026年5月 − 03
年に1度の京都の大規模写真イベント「KYOTOGRAPHIE」の展示を見に行ってきた。
KYOTOGRAPHIEは毎年、いくつか関連イベントと連携して開催されている。わたしは、KYOTOGRAPHIE公式プログラムを1箇所と、KG+(写真家やキュレーターの発掘と支援を目的とした公募型アートフェスティバル)の会場を3箇所まわった。もっと見たい会場があるが、時間的と体力的に難しかった。腰が・・・。
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見にいったところ
◾️東本願寺
◾️くろちく万蔵ビル
◾️Su
◾️Seisodo Studio
※レボハン・ハンイェの「記憶のリハーサル」は、タイトルが気になって見に行った。記憶をリハーサルするってどういうことだろうと思った。彼女が写真を使って光を当てているのは、自分が生きた歴史、家族や祖先の歴史、南アフリカ共和国の歴史で、誰かのなかに記憶が作られ個人の中で息づくまでのプロセスの中に観客を引き込み、曖昧な想像を、記憶になる前のリハーサルとして上演する、そういう展示に見えた。そもそも記憶とはなにか、誰のものなのか、固定化されたものなのか、と問いかけられているようなかんじもする。写真における光とは、物理的な光源としての光を意味することもあれば、見えないもの隠されたものを浮かび上がらせるための比喩としての光もあり、今回の展示は、後者を取り扱う方法として、ジオラマや布のパッチワークなど、そうかこれも写真!という作品があって面白かった。(IMAにはインタビューが載っていた。https://imaonline.jp/articles/interview/lebohangkganye-kyotographie2026/#page-1)
※キム・ウンジュの「Unhealed Light」、木村肇の「嘘の家族」、宛超凡の「河はすべて知っている—黄浦江」は写真集もほしくて悩んだけれど、決められず、とりあえず買わずに帰ってきた。どれも展示も面白かった。「Unhealed Light」は展示空間の真ん中にキャプションがまとめられていて、写真から距離をとりながら読むような設えになっていた。この展示は写真集をひととおり読んでから見に行ったのだが、鑑賞するときの感覚が、写真集で体感した距離感と近くて良かった。
※ミラ・レイ・サラバイの「窓 Mado」はめっちゃ好きな世界観だった。エッチングの小さな作品と布のインスタレーション(白いサリーに白インクでイメージが印刷されている。光が当たらないとイメージが見えないようになっている)を合わせて鑑賞しながら作品世界に入っていくような設え。自費出版のフォトブックもあり、こちらも買わずに帰ってきたが、あとで調べてみると、オンラインでは手に入らなさそうな作品っぽいので、買うなら会期中に買っておかなければならない。
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こうやって列挙すると結構見たなあというかんじになるが、それは、くろちく万蔵ビルで10人分展示しているからだ。この10人はKG+の公募コンペで選ばれた方たちで、展示にあたり製作費の支援もあるらしい。さらに、このなかからグランプリに選ばれた人は来年のKYOTOGRAPHIEのプログラム内で展覧会ができるとのこと。(今年はスリダー・バラシュブラマニヤムさんが選ばれたらしい!)
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