2026年5月 − 04
本日、まるネコ堂芸術祭の振り返りミーティング&打ち上げがあった。これで芸術祭は一区切り。ほっとしたのか、家に着いた途端、ぶつっとパワーが切れた。なんかエネルギーがほしくて、家にある揚げそら豆をしばらく食べ続けた(ほんとうはポテチが食べたかったが家になかった)。連休中にかなり元気になった気がしていたが、今日まで多少の緊張感があったのかもしれない。参加したみんながどんな気持ちで芸術祭を終えたのか気になっていた。
今日参加者のみんなの話を聞いて、その中には初めて聞く話があったり、反省があったり、これからやってみたいことが含まれていたり、この人はあの人の作品についてこんなことを感じていたのかということがわかったり、終わった後だから話せたり聞ける話がたくさんあった。制作については、それぞれのペースで、それぞれのやりたいことに向き合っていくのだが、その時間を互いに見守り、共有できることが、この芸術祭の良いところだなと改めて思ったりした。
みんなの作品について、感想をテキストにするように努めて、自分のためにも文章にまとめたいなと思っています(パワーが戻ってきたらやります)。
今回のわたしの制作については、3回目にしてやっと、自分の足元を直視し、限られたリソース(時間、体力、経験、財力、技量、知識、境遇なども含む)を目一杯使って、自分の有限性を肯定して制作することが初めてできた気がして、それがすごく良かったし、気持ちも楽になった。ほんとうに良かった。ただ、手持ちカードが非常に少ないこともよくわかった(直視できた)今、ここからどうやって深めていけばいいか悩んでいた。今日の振り返りでそういう話をしたら、みんなから励ましてもらったり、アイデアをもらえたのでとても有り難かった。またちょっとずつ進めて楽しく制作していけそうです。
話は変わって、千葉雅也さんの『センスの哲学』を読み直している(途中までしか読めていなかった)のだが、こんなことが書かれている。
何かをやるときには、実力がまだ足りないという足りなさに注目するのではなく、「とりあえず手持ちの技術と、自分から湧いてくる偶然性でなにができるか?」と考える。規範に従って、よりレベルの高いものをと努力することも大事ですが、それに執着していたら人生が終わってしまいます。人生は有限です。いつかの時点で、「これで行くんだ」と決める、というか諦めるしかない。
・人生の途中の段階で、完全ではない技術と、偶然性とが合わさって生じるものを、自分にできるものとして信じる。
(千葉雅也『センスの哲学』文藝春秋、2024年、p183)
すばらしい激励のことばではあるが、実践するとなると簡単なことではない。わたしにとっては、苦しいし難しいことだった。でも、ほんとうに、そうなのだ。人生は有限だから、できないことに執着していられない。そんな執着が邪魔しているうちに人生が終わってしまうなんて最悪でしょう。またこれからも、自分の足りなさに意識を奪われそうになったら、千葉さんのことばを思い出したいです。有限って切ないな。でもそれを力にして生きていきたいです。なんだかわからないけれど泣いてしまいそうです。
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