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2026年10月 − 03

この1年体調に波があって困っているが要因はひとつではなく様々な事柄が絡み合っていると思われるけど、そのうちのひとつが宝塚を観に行けていないことなんじゃないかと(まあまあ本気で)思い始めていた。たぶんこれは半分くらいあっている。

この三連休、前回のブログで触れた『バルパライソの長い坂をくだる話』と、今日は『弔いのあした』というリーディング公演を観に行ったのだが、どちらも観終わった後、換気したみたいに気分がすっきりした。体が軽い(気がする)。

私に足りていないのは儀式への参加だったのでは?違う時間が流れ込む儀式。

この2つの公演は、どちらも土地の記憶、家族の記憶を行ったり来たりする物語で時間を扱う作品だった。そして、両公演ともに観客が参加できるようなギミックがあり、それがよく効いた。『弔いのあした』は開演前、場内に入るとまず靴を脱がされ、舞台上の好きな場所に置くことを促される。そして置いた人からスリランカの紅茶をいただいた(演出の神里雄大さんが舞台上で淹れていた)。作品の舞台はスリランカだった。この一連の魔法はよく効いて、上演開始早々、作品の世界にすんなり入っていくことができた。一緒に記憶の旅をするような作品だった。実際、靴を舞台に預けているし。

あれもしなきゃこれもしなきゃと慌てて生きているような気がする。自分で時間の流れやスピードを変えることって難しい。劇場だとそれができるのかもしれない。(とはいえ、かつての宝塚通いのように、通い過ぎは当たり前に疲れるので良くないことは知っている!)

   








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